カラフルに生きよう

知識より体の声を。情報より心の声を。自分の色を思い出し、人生の解像度をあげるためのブログ。

「自分の幸せ」のために動いていい

妹の結婚式があったよーーーーー!

ブログに書いたこともあるけど、妹が結婚するまでいろいろと話を聞いていたからか、いざ花嫁姿の妹を見たときは、なんかもう腹の底から嬉しかったよ。

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 久々に家族が集まったもんで、いろいろ思うことがあって。

いい機会だから文字にしてみようかなと思う。

 

正直私は、大人になるまで妹とあんまり話してこなかった。

呪文のように「しっかりした子だねぇ」と育てられた私は、典型的な「長女病」という感じで、親に対しても弱音を吐くのが苦手だったのに対し、妹は素直になんでも話して人当たりも良くて、可愛くて、お母さんから愛されているように見えていた。

私は「しっかりしないと」愛されないのに、妹は「弱音を吐いても」愛されている、と子供ながらに嫉妬していたんだと思う。

 

私の両親は、私が20歳を過ぎた頃から別々に暮らしだして、年に何回か食事会だけで集まるような状況を4年くらい続けて、その後正式に離婚したんだけど。

私は「家族」という形にものすごく執着していたし、なんとかまたみんなで暮らせるようになりたくて、仲を取り持とうと必死だった。

 

でさ、正式に離婚する大きなキッカケが、「お母さんに好きな人が出来たこと」だったんだよね。

 

それを打ち明けられたとき、めちゃくちゃ衝撃で。(笑)

はあ!?!?!?!?ってなった。なんだか知らないけど、すごい裏切られた気持ちにもなった。私あんなに家族を取り戻そうと頑張ってたのに!!!!って。

 

で、お母さんが「再婚して北海道に住む」とか言い出したわけ。

もうアタクシ脳内パニックすぎて、意味わからん!!!!ふざけんな!!!!嫌だ!!!!勝手だ!!!!って、ギャーギャー泣きながら責めてしまった。

その時の言い分が我ながら酷くて。(笑)

せめて私が結婚するまで待ってよ!!!!!!!って言ったんだよねwwww自分勝手はわたしだwwww

 

当時の私は「世間体」とか「常識」ばっかり考えてたから。

自分が結婚するときに名字が違う母親は嫌だ、とか。気まずいのは嫌だ、とか。

まじで自分のことしか考えられなくて、お母さんを否定した。

今思い返しても、あの時の私は最低だったなと思う。

 

でも散々否定して、拒絶して、酷い言葉を言ったのに、お母さんはそれでも「本当に勝手だと思う。きっと嫌われるだろうとも覚悟をしてた。…でも、私は北海道に嫁に行きたいの!!!と主張を曲げなかった。そして少し経ったらまじでピューっと北海道に行きやがった。(笑)

 

そんなお母さんのことがあって、妹と愚痴でも言い合おうかと話をしたとき。

妹の口からは「私もすごい寂しいし、嫌だったけど、でもお母さんはお母さんの幸せになる権利がある。お母さんの幸せを尊重してあげたかったんだよね」って言葉が出てきて。

 

私はなんて恥ずかしい姉なんだ。と、穴があったら入りたかった。

 

子どもみたいにギャーギャー駄々こねて、自分のことばっか考えてお母さんを否定して、お母さんの幸せを奪おうとしていたことに、そのとき気付いた。

 

散々「大人としてあり得ない」だの、「いい年して何言ってんだ」だの、「自分のことばっか考えやがって」なんて、不貞腐れてたくせに、これ全部私やん!私の自己紹介やん!妹の方がずっと大人やん!!と妹の懐の広さにひれ伏した。

 

結局私の結婚式では名字の違う母親で来てもらったし、お父さんと顔を合わせても別に気まずくもなくて、なんか笑っちゃうほど何も問題なくて。

むしろ、お母さんは北海道ですごく楽しく幸せそうに暮らしてて、お父さんはいろんなプレッシャーから解放されて、案外気楽に過ごしてて。

私が取り戻そうと躍起になっていたときより、個々に「家族」の時間を大切にできるようになってきて。

 

私は、過去の自分がしたことを母親に詫びた。

そして、あの時私を振り切って「自分の幸せ」のために動いてくれてありがとうと感謝をした。

 

そしたらお母さんも同じこと考えてて、「あのときミクのために東京に残らなくて良かった。もし私が再婚をやめてたら、きっとアンタは「自分のせいだ」って思って、自分が結婚するとき大阪に行くのを躊躇してたと思う」って言われたんだよね。

どうだろう、、結婚は躊躇しないかもしれないけど(ゲス)でも罪悪感は確かにずっとついてくるかもしれないな。

 

当時は「60のおばさんが今更好きな人が出来たなんて言うなよ!」とか思ってたけど。

今は「60のおばさんなのに、好きな人が出来るなんてすばらしい事だな」と思うし。

当時は「自分の幸せばっか考えるなんて大人としてどうなの?」とか思ってたけど。

今は「自分の幸せを考えることが、結果的にみんなを幸せにする」と思ってる。

 

ちなみに今の母は、北海道でダンスやら歌やら朗読劇やら手作りのアクセサリー販売やら、めちゃくちゃアクティブに人生楽しんでる。(笑)

昔は「母みたいに周りに迷惑かける生き方はダメだ!」って思ってたけど、

今は「母みたいに人生楽しみながら生きていたい!」って思ってる。

 

「大人として」「常識的に」「普通はそうでしょ」なんて、ドヤ顔してわかったようなこと言ってたけど、私はなんにもわかってなかった。

 

「母親」「父親」「長女」「末っ子」「妻」「夫」「家族」なんて肩書はあれど、結局中身はどれもただの「男」と「女」だし、もっと言えばただの「わたし」なんだよね。

 

別に離婚を推進したいわけではないけれど。

でも「家族だから」という肩書に縛られて身動きできなくなるくらいなら、とっとと離婚してそれぞれが「自分の幸せ」を考えてみてもいいと思うし。

その軸が「自分」なのか、「世間」なのかで、選択肢も大きく変わってくると思うんだ。

 

少なくとも、今の私には「離婚」にネガティブなイメージは全くない。

 

結婚式に参列した記事で「離婚」の話するのどーなのwwwwって感じだけどwww

たとえ「離婚」であっても、それが「自分の幸せ」のために選んだ選択肢なのであったら、それはもう「新しい幸せへのスタート」でしかないと思うんだよね。私は。

 

もちろん何事もなくみんなが一緒に暮らせることは素晴らしいこと。

でも、そうじゃないことが「不幸」かっていうと、違うよ!ってことね✨

 

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↑↑これめっちゃオシャレに撮れたと思わない!?!?!?(自画自賛)

 

でさ、

自分にそんな過去の失敗があるからこそ、何もわからなかったからこそ、

昔の私みたいに「大人として」「世間的に」を気にして、「自分の幸せ」を見失ってる人に少しでもアシストできたらいいなって思うし。

過去の私みたいな奴を振り切って「自分の幸せを掴んでこい!」と言えるようなことがやりたいと思っちゃうわけです。(笑)

 

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一度着てみたかった色留袖♡♡

着物が似合い過ぎて、このままスナックでも開こうかと思ったよ。

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ネイルも着物に合わせた♡

器用でセンスの良いネイリストさんで、着物の帯の柄を見ながら全部手書きで描いてくれた😆!!

 

 

ちなみに私、今週初めて「お母さんの再婚相手」に会ってくるの。(笑)

 

ずーーーーっと拒絶してたもんだから、お母さんも私に会わせづらかったようで。(妹は何度か会ってて仲良し)

 

でももう今は大丈夫だから、会ってくる。

ちょっとキンチョーはするけどね。(笑)

 

 

自分に関わる人が増えれば増えるほど、身動きが取りづらくなることもあると思う。

でも、「自分の幸せ」のために動いていいんだよ。

 

否定したり、攻撃してくる人は、「我慢してる人」「とても不安な人」だから。

私が、そうだったから。(笑)

 

 

今日も読んでくれてありがとう♡

 

 

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