自分の在り方
願いとか、夢とか、やりたいことに敏感になるのは悪いことではないと思うけど、最近大事なものを忘れてた気がして、自分への覚え書きとして書きたくなりました。
それは、どんな自分で在りたいか。ということ。
願いや夢を通じて、どんな自分になりたいんだろうって考えたことありますか(´-`*)?
最初は私もキレイになりたい!という願いをきっかけに心の改善を始めたわけだけど、キレイになって、私どうなりたいんだろう。ってふと思ったんです。
「宇宙の法則」を「キレイになるための“手段”」と思ってる自分に違和感が出てきた。
他にもそう。なにかをやりたい!って思ったときに「どうしてやりたいんだろう?」「やってどうなりたいんだろう?」って疑問が出てくる。
例えば、「警察官になりたい!」と思ったとする。
どうしてやりたいのか→誰かを守れるようになりたいから。
…
守ればいいじゃん。
え、「誰かを守ること」って「警察官」じゃなくてもできるよね?
「警察官」という夢って、「誰かを守ること」の手段のひとつってだけだよね?
もっと言えば、「警察官だから守れる」というわけでもないと思う。
「夢」とか「やりたいこと」って、自分がどう在りたいか。の手段でしかない。
その夢を叶える理由に「人に認められるから」「人に好かれるから」が含まれているのであれば、さらに疑問をもつといいかなって。
どうして認められたいの?どうして好かれたいの?
→自分を認めたいから。自分を好きになりたいから。
どんな自分を認めてほしいのよ。
どんな自分を好きになってほしいのよ。
結局それも「自分がどう在りたいか」がボヤけ続ける限り、満たされないよ。
自分のこともわかってないのに、人にわかってほしいって無理でしょ!(笑)
“人のためになりたい”と、思うことは立派かもしれないけど、自分のために何もできない人が人のために何かできるとは思えない。
自分が人に頼って初めて、頼ることの勇気も有難みもわかるんじゃないかなぁ。
そんなことを漠然を思いながら、じゃあ私はどういう人間で在りたいんだろう。ってボーっと考えてみた。
そして、浮かんだのが「癒す人間で在りたい」な、と。
なんだか、まだちょっと恥ずかしいっす。(笑)
で、じゃあ「癒す人間」になるため、在り続けるためにどうするか。
「カウンセラーの資格をとる」とか「心理学を勉強する」とか、「そういう仕事を始める」とか、そういうのは全部手段であって。
ただ癒せばいいんだよね。
誰を?
私を。
どんなに非難されたり、笑われたり、責められても、私だけは絶対に私を助け、私に寄り添い、私を癒す。
私は私にとって、最高の「癒す人間」で在り続けること。
それだけ決めちゃえば、あとは何でもアリかなと思ってます。
私はカウンセラーの資格も持ってないし、美容についての資格があるわけでも、何か仕事をしているわけでもないけれど。
自分の癒し方をたくさん研究して、人に助けてもらう有難みや、寄り添われる嬉しさを経験して、どんどん私を癒してあげられるように尽くす。
自分がそう「在る」ために必要なのは、ただ自分が自分にとってそう「在る」と決めることだけで、資格がとれなくても、夢が叶わなくても、やりたいことがうまくいかなくても大丈夫だよ。と、いつか私という存在で伝えられるような人間になれたら嬉しいなぁって、思います。
まだちょっと、恥ずかしいけどね。(二回目)
何かをやろう!夢を実現させよう!と走っていた自分に少しストップをかけて、その先にある「在り方」について改めて見つめる時間も大切だなと、思ったマイコでした(*'▽')
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