カラフルに生きよう

知識より体の声を。情報より心の声を。自分の色を思い出し、人生の解像度をあげるためのブログ。

お母さんは「自己犠牲な人」?

こないだセッションしてきたよん!!!!

 

継続的にセッションしていくなかで、

自分とめちゃくちゃ向き合って、そのおかげで家庭の状況がまるで変わった彼女。

少し詳しく話すと、父親・祖母・彼女の3人で暮らしている環境のなか

・朝5時30分に起きて夕飯の準備(もちろん仕事もしてる)

・掃除も洗濯も食器洗いも、家事は全部自分(休日も)

・祖母と父親が不仲な上、両方の愚痴を聞く

・自分の自由時間は毎日30分~1時間程度

 休日も毎朝夕飯のことを考えて、食材の管理も彼女がしないとてんやわんや。
気性の荒い父親の顔色を常にうかがって、言いたいことも言えず、やりたいこともできず、ストレス溜まるぅぅー!みたいな状況から、

 

・朝イチの夕飯準備がなくなった

・家事を父親が手伝ってくれるようになった

・別の親戚も一緒に協力して祖母の面倒を見てくれるようになった

・自分の自由時間がめちゃくちゃ増えた

・気性が荒いとビクビクしてた父親と、ちゃんと話せるようになった

 

と、笑っちゃうほど環境がガラっと変わり。(笑)

さて!じゃあこれから何をしようか!!!!というところで…

 

今度は仕事のことで悩み始める彼女。

・後輩が残業してまで一生懸命仕事をしている姿を見てモヤモヤする。

・自分も好きで始めた仕事なのに、後輩よりも進んで仕事をしていない自分は「本当に好きでやっていることなのか?」と疑問。

・後輩が仕事に向き合っている姿を見ると、羨ましい。

 

でね、これ面白いのが、いっちばん最初にセッションをしたときに実は同じような話を彼女はしていて。

 

過去に趣味でカメラを始めようとしたんだけど、準備してる間はすごいワクワクしたのに、途中で「なんか違うかも」と思ってやめたことがある。

 

って言ってたの。

 

あれ、これ“パターン”なんじゃね???

 

掘り下げて行くと、やっぱり彼女のなかでは

好きなこと=役に立つこと

という方程式が無意識にあって、カメラを趣味にしようとしてたときは「写真撮れるようになったって、何も役に立たないんじゃないか?」って思考して、嫌になって。

現在は、家事の負担がだいぶなくなったことでストレスが減ったのにも関わらず、今度は「何もしない自分」役に立ててない自分」にモヤモヤして、それが仕事に向いてたの。

 

その仕事が好きなのももちろんウソではないと思うけど。

でも、役に立ててるから好き。みたいなところがあったんじゃないかな。

だから今は「なんかこれじゃないのかも」って気持ちになってる。

 

このパターンに気付かないまま、環境だけ転々としても、どっかのタイミングでまた同じようなことを考えだすはず。

 

だからまずは、「役に立たなくても大丈夫な自分」になることが重要なのだ。

f:id:omusubimaico:20191216155219j:image

「大丈夫」に関連した画像を探してたら、この画像見つけてニヤっとした。

 

で、なぜ「役に立たないといけない」と思うのかってところを深堀りしていったら…

「お母さん」と繋がってることがわかった。

 

彼女のお母さんはご病気で亡くなっているんだけど。

彼女は最初お母さんのことを話すとき、お母さんを「自己犠牲の人」という言い方をしていたのね。自分の身を削りながら、周りを助けてあげるような人だと。

 

で、そんなお母さんの姿を小さい頃から見てきて、

お母さんに少しでも喜んでもらいたい。

お母さんをもっと楽にさせてあげたい。

お母さんにもっと認められたい。愛されたい。

お母さんのような人にならないといけない。

という風に無意識に動いてきたことが、わかったんだよね。

この時彼女はポロポロと泣きながら、お母さんの姿と向き合ってた。(思わず私も泣いた)

 

で、じゃあ本当に「自己犠牲の人」だったのか?ってとこを振り返りながら話してみると…

 

いや、むしろ母はすすんで誰かのために動く人だった。

それが辛いとか、苦しいとかも言ってなかった。むしろ好きでやってると言ってた。

そんな母の姿や、母の言葉を信じるとしたら…

「自己犠牲な人」という決めつけは、母に失礼だ。

という結論になった。

f:id:omusubimaico:20191216151733j:image

母は「やりたくないこと」を自分を犠牲にやっていたのではなく。

自分が「やりたいこと」をやっていたんだ。と気付いた。

 

今まではお母さんが「やりたくないこと」を頑張ってたって思ってたから、自分も同じように頑張らなきゃってケツ叩いて、「やりたくないこと」を見つけてはやりに行ってたんだよね。

 

でも、今はもう違う。

お母さんは「やりたいこと」をやっていただけなんだから。

自分も「やりたいこと」をやっていいんだ!にガラっと変わった。

f:id:omusubimaico:20191216153648j:plain

 

後輩が残業に勤しんでるのを見て、自分は「やりたい」と思うのか?→NO

自分の時間を削ってまで、同じようなことが「やりたい」のか?→NO

それをすれば「役に立っている」「お母さんに褒められる(お母さんみたいになれる)」と思える気がするだけ。

 

「こうならないと!」って思うと、そうなれないし。

「こうなりたくない!」って思うと、そうなってしまうし。

悲しいかな、面白いよね😂ww

 

本当に好きなことって、役に立たなくてもやりたくなること。

というか、好きでやっていたら、なんだか役に立っちゃってる!みたいなこと。(笑)

 

「役に立つこと」自体はもちろん素晴らしいことだけど。

「役立たないとダメ」になってると、自分を苦しめてしまう。

 

役に立てば、認めてもらえる。

役に立てば、愛してもらえる。

って思うことって、そもそも自分は「認められない・愛されない」前提で生きてることになる。

 自分から「愛されない人間」になりにいくのはやめましょ☆

 

 “欠乏感”から行動しても、その穴は大きくなるだけ。

 

既に認められてるとしたら?既に愛されているとしたら?

さて、何がしたい🤗???って考えてみるのが大切なのだ♡

 

生きてるだけで、誰かの役には立ってるんだよ。

私のセッションしたい!って願いを叶えたくれたのも、あなただしね♡

 

彼女と話しながら、「あ~すごく大切なターニングポイント立ってるんだなぁ」っていうのをひしひしと感じて。

そんなタイミングに立ち会うことができたのが、とっても嬉しかった😆♡

 

出会ってくれてありがとう✨