ただ、その場にいる“意味”
↑の記事のつづき。
で、私はお芝居を通じて感じたことだけど。
その場にいるだけ。って実はすごく難しくて、すごく怖いこと。なんだよね。
お芝居でいうと、もちろんセリフが多い役や、大きな役割を担う人は大変だけど、それと同じくらい難しいのはセリフがないのに、多くの場面で空間を創りあげるアンサンブルだと思うのだ。
誰も見てないと思いがちだけど、その人たちがいないと成り立たない。
メインで動いてる人の邪魔をせず、それでもその場面で必要なものを汲み取って、作品を埋めるのは、本当に能力がないとできないよ。
※ちなみに私は言わずもがな、アンサンブルが苦手です。ww
セリフが少ないってのは、要はその役について書かれてるヒントが少ないってことだから。自分で考えないといけないことが多いんだよね。
それで、私はその役がその場にいることの「意味」を一生懸命作り出そうとしちゃってたわけ。
でもさ、違ったんだよね。
「意味」ってつくるもんじゃなくてさ。
「その場にいる」ことが、もう「意味」だったんだよね。
意味がない人は、そもそもそこに存在してないのよ。
その場にいる「意味」とか考えちゃうあたりがもう、しょっぱいことなわけ。
でも、めちゃくちゃ怖いのね。
「その場にいるだけ」っていうのはさ。
見てもらえてない気がしたり。
必要がない気がしたり。
なんだか申し訳ない気がしたり。
怒られちゃう気がしたり。
だから一生懸命なにかを「やろう」としちゃうんだよね。
自分がここにいる「意味」がほしくて。
ここに存在していること自体が、「意味」なのに。
意味のない人は、そもそも「存在できない」
意味があるから居るんじゃない。居るから意味があるんだよ。
その場に居るだけでいい。
「じぶん」という存在に「意味」を見いだしたくて、
強がったり、わかってるフリしたり、正しさアピール(批判)したり、ポジティブぶったり。
逆に、弱ってるフリしたり、できないフリしたり、悲劇のヒロインぶって、 「存在」をアピールしたくなったり。
でもそれをやられると、周りはむしろ迷惑で😂
変に意味をこじつけようとしたり、
「存在」を認められようとするのって、気持ちが悪いんだよね😂😂😂
だから私も、あの稽古場ですごく浮いてしまっていたんだと思う。
自分がちゃんとやろうとするほど、むしろ邪魔になっていたのだ。
なぜこんなことを書いたかというと。
なぜか急にこのときの出来事を思い出したから。
で、そのときの状況と、今の自分がなんとなく同じ気がしているから。(笑)
自分への戒めとして、覚えておくためにw
それと、もしかしたら私と同じように、自分の存在する「意味」みたいなのをこじらせてる人もいるかもしれないなーって思って、書いてみた。ww
芝居だから、仕事だから、恋愛だから、、、っていうのは、あんまり関係なくて。
人生において、結局「自分がどう在るか」は同じだから。
自分の癖やスタイルは、結局同じ🤗w
特にお芝居はめちゃくちゃ自分の癖とか人間性が出るので、私はよく自分を見つめるときに思いだす😂
無理に意味を見いだすでもなく、わざわざ存在をアピールするでもなく
ただ、その場にいること。
「存在すること」そのものが、意味なんだということを忘れずに、自分に許可し続けよう。
もしも自分が「アンサンブル」だと感じても、拗ねることなんかない。
「アンサンブル」がどれだけ難しくて、どれだけ能力のいることか!
「アンサンブル」のおかげで、どれだけその場が成り立っていることか。
「アンサンブル」ができる人は、主役もできる人だ。
逆に「アンサンブル」ができないまま、「主役」になっても苦しいよ。
もちろん「アンサンブル」だろうがなんだろうが、“その人”の人生では「主役」なんだけどね😁♡
その場に存在できている自分を誇りに思おう。
最初は難しいけど、少しずつ。
怖いかもしれないけど、堂々と。
新しく上げた動画も見てね🤗☆