カラフルに生きよう

知識より体の声を。情報より心の声を。自分の色を思い出し、人生の解像度をあげるためのブログ。

ただ、その場にいる“意味”

omusubimaico.hatenablog.com

 

↑の記事のつづき。

 

で、私はお芝居を通じて感じたことだけど。

その場にいるだけ。って実はすごく難しくて、すごく怖いこと。なんだよね。

 

お芝居でいうと、もちろんセリフが多い役や、大きな役割を担う人は大変だけど、それと同じくらい難しいのはセリフがないのに、多くの場面で空間を創りあげるアンサンブルだと思うのだ。

誰も見てないと思いがちだけど、その人たちがいないと成り立たない。

メインで動いてる人の邪魔をせず、それでもその場面で必要なものを汲み取って、作品を埋めるのは、本当に能力がないとできないよ。

※ちなみに私は言わずもがな、アンサンブルが苦手です。ww

 

セリフが少ないってのは、要はその役について書かれてるヒントが少ないってことだから。自分で考えないといけないことが多いんだよね。

それで、私はその役がその場にいることの「意味」を一生懸命作り出そうとしちゃってたわけ。

 

でもさ、違ったんだよね。

 

「意味」ってつくるもんじゃなくてさ。

「その場にいる」ことが、もう「意味」だったんだよね。

f:id:omusubimaico:20191118231459j:plain

 

意味がない人は、そもそもそこに存在してないのよ。

その場にいる「意味」とか考えちゃうあたりがもう、しょっぱいことなわけ。

 

でも、めちゃくちゃ怖いのね。

「その場にいるだけ」っていうのはさ。

 

見てもらえてない気がしたり。

必要がない気がしたり。

なんだか申し訳ない気がしたり。

怒られちゃう気がしたり。

 

だから一生懸命なにかを「やろう」としちゃうんだよね。

自分がここにいる「意味」がほしくて。

 

ここに存在していること自体が、「意味」なのに。

 

意味のない人は、そもそも「存在できない」

意味があるから居るんじゃない。居るから意味があるんだよ。

 

 その場に居るだけでいい。

 

「じぶん」という存在に「意味」を見いだしたくて、

強がったり、わかってるフリしたり、正しさアピール(批判)したり、ポジティブぶったり。

逆に、弱ってるフリしたり、できないフリしたり、悲劇のヒロインぶって、 「存在」をアピールしたくなったり。

 

でもそれをやられると、周りはむしろ迷惑で😂 

変に意味をこじつけようとしたり、

「存在」を認められようとするのって、気持ちが悪いんだよね😂😂😂

 

だから私も、あの稽古場ですごく浮いてしまっていたんだと思う。

自分がちゃんとやろうとするほど、むしろ邪魔になっていたのだ。

 

なぜこんなことを書いたかというと。

なぜか急にこのときの出来事を思い出したから。

 

で、そのときの状況と、今の自分がなんとなく同じ気がしているから。(笑)

自分への戒めとして、覚えておくためにw

それと、もしかしたら私と同じように、自分の存在する「意味」みたいなのをこじらせてる人もいるかもしれないなーって思って、書いてみた。ww

 

芝居だから、仕事だから、恋愛だから、、、っていうのは、あんまり関係なくて。

人生において、結局「自分がどう在るか」は同じだから。

自分の癖やスタイルは、結局同じ🤗w

 

特にお芝居はめちゃくちゃ自分の癖とか人間性が出るので、私はよく自分を見つめるときに思いだす😂

 

無理に意味を見いだすでもなく、わざわざ存在をアピールするでもなく

ただ、その場にいること。

「存在すること」そのものが、意味なんだということを忘れずに、自分に許可し続けよう。

 

 

もしも自分が「アンサンブル」だと感じても、拗ねることなんかない。

「アンサンブル」がどれだけ難しくて、どれだけ能力のいることか!

「アンサンブル」のおかげで、どれだけその場が成り立っていることか。

 

「アンサンブル」ができる人は、主役もできる人だ。

逆に「アンサンブル」ができないまま、「主役」になっても苦しいよ。

 

もちろん「アンサンブル」だろうがなんだろうが、“その人”の人生では「主役」なんだけどね😁♡

 

その場に存在できている自分を誇りに思おう。

 

最初は難しいけど、少しずつ。 

怖いかもしれないけど、堂々と。

 

www.youtube.com

 

新しく上げた動画も見てね🤗☆