カラフルに生きよう

知識より体の声を。情報より心の声を。自分の色を思い出し、人生の解像度をあげるためのブログ。

本音と向き合う

そもそも、なぜ「役者」としての自分を手放そうと思ったか。なんですけど、実はこの間とあるオーディションに行ってきたんです。

 

私が「仕事」を手放した途端に舞い込んだチャンスとは、このことでした。

オーディションなんて何年ぶりだろうと、ワクワクしながらいろいろと準備して、オーディション会場について、会場内に入る直前まではもうワクワクソワソワして落ち着かなかったんだけど、いざ会場に入って席についたときに「‥あれ、なんでここにいるんだっけ?」ってほんの一瞬思ったんです。

 

オーディション自体は楽しく終えられてすごく良かったんですが、私はあの瞬間、一瞬だけ感じた違和感の正体はなんなのか、ずっと引っかかっていました。

 

「なんでここにいるんだろ?」という感覚はマイナスな印象はあまりなくて、「なんで私また選ばれようとしてるんだろう?もう私は選んでいく側なのに。」みたいな感じ。

「選ぶ側」というのは、オーディションの審査する側のこととかそういうんじゃなくて、

 

私、ちゃんと自分で選んだ?

今の私に本当に必要?流されてない?

また人の人生に乗っかってない?

 

って、ふと疑問に思ったんですよね。

 

私ね、オーディション結果に興味がない。ってずっと言ってたんです。

私に「必要」なら呼ばれるだけで、呼ばれなければ今の私には「必要ない」だけだから!って。

 

でもね、ここ最近

オーディション結果が気になって気になってしょーーーーがなかったんですよ。笑

 

頭ではカッコつけてるのに、「こころ」は気になって気になってしょーがないの。

 

もう、自分に嘘つくのやめよう。

 

カッコつけるのやめよう。

 

1番大事なところで嘘ついてたら、きっと私はこの先に進めなくなる。

 

醜くてもいい、汚くてもいいから、自分の気持ちに素直になろうって思ったんです。

 

私はオーディションに受かりたかった。

どうしても受かりたかった。

 

なんで?

 

私が今やってる実験の結果が、認められる!!!!!と思ったから。

 

‥誰に?

 

みんなに。

 

うん、めちゃくちゃ外側に意識向いてた。

 

この実験で得た変化は、自分が1番よくわかってるはずなのに。自分以外の「誰か」に認められたくて、早く結果を求めてたんです。私。

 

じゃあどうすればいいんだろう。

っていろいろ考えたけど、全く答えがわからない。

 

これも、手放す時の合図のひとつ。

 

「自分がどうすればいいのかわからない時」は、

もーーーーどうすればいいのかわかりませーーーーん!!!お手上げです〜〜参りました〜〜!!!!!!!

 

って素直に降参する。

 

 

お芝居に出会ったのは小学校6年生の時でした。

今思うと、私が人生で初めて「誰か」に認められた瞬間でした。

「すごいね!」「上手だね!」「カッコよかった!」「プロみたい!」

そんな魔法みたいな言葉が嬉しくて、お芝居の世界に飛び込みました。

でもいつからだったかな

最初は楽しくて仕方なかったお芝居が、大人になるに連れて、段々と「評価」に敏感になっていきました。

「もっといろんな人に認めてもらいたい」「評価されたい」

批判したり、比較したり、競い合っていくうちに、だんだんお芝居がつまらなくなってきました。

でも、そんな私に芝居を続けさせてくれるのは、周りの応援でした。

 

「マイコは何があっても芝居やめちゃだめだよ」

「芝居してるときのマイコ、すごいキラキラしてる」

「すごい面白いよ。続けていれば絶対花開くよ!」

 

私が芝居を続ければ、喜ぶ人がこんなにいる。楽しみにしてくれる人がたくさんいる。

 

いつしか、「誰かのため」に芝居をするようになりました。

 

「誰かのため」という思考自体は悪いものじゃないと思うんです。

「その人」のためになるのが「嬉しい!」「楽しい!」ってワクワクする方のエネルギー

「その人」のために「やらなきゃ」「期待に応えなきゃ」という緊張や萎縮のエネルギー

 

大事なのは、どっちのエネルギーが自分に流れているか感じること。

私の場合は、だんだんと後者のエネルギーに支配されていきました。

 

夢を追いかけて、親にもたくさんお金をかけてもらいました。

 

私は親のためにも、芝居を続けて結果を出さなきゃいけない。かけてもらった分くらい、返したい。

 

意識が全部外側に向いてから

どんどん私の夢は窮屈になっていきました。

 

でもいざ、役者を辞めようと思うと、寂しくて寂しくて仕方ないんです。

 

約15年近く、「役者」としての自分と歩み続けて、経験してきたことは宝物みたいに私の心の真ん中に置いてあった大事な“希望”でした。

 

これがなくなったら、私が今までやってきたことはなんだったんだろう。という不安

“私”が“私”じゃなくなっちゃうんじゃないかという恐怖

そしていろんな環境で揉まれて育った「プライド」

 

捨てなきゃ、と思えば思うほど苦しかった。

 

でも、今の私にはわかります。

捨てなくていい。受け止めればいいんだ。って。

 

不安も恐怖も、「なりたかった理想の自分」も大事な私の一部です。

 

誰かに許してもらうんじゃなく、自分で自分を許すことがきっと一番難しくて一番大切なことだと思います。

人に嘘をついてもいいけど、自分にだけは嘘をつきたくない。

 

私は今まで怖くて見ようしなかった自分の「本音」の部分をノートに書き出してみました。

嘘をついていたこと、かっこつけていたこと。本当はこう思っていたこと。

全部書き出して、最後にそれらを丸で囲い、「全部私が許してくれました。」と書き足しました。

 

そしたらもう肩の力がスーっと抜けて、安心感でボロボロ泣いちゃって、めっちゃ楽になって、その後に食べたチーズケーキがめちゃくちゃ美味しく感じました。(笑)

 

 

 

人間はみんな、何も肩書きをもっていません。

 

私から「役者」の肩書をとったら、ありのままの「」がそのまま残るだけ。

 

一旦は手放すことを決めたけど

なんとなく、またどこかで再会するような気もするんです。

 

その時にはきっと私のアイテム袋も巨大なものになっていて、どんな大きなものになって返ってきても、余裕で受け取れる気がする。

 

寂しい気持ちはもちろんありますが、私にとってめちゃくちゃ大きなアイテムなので、これを手放すということは、次に手に入るのはどんなものなのか、めちゃくちゃワクワクしている自分もいます。

 

いつかまた「自分のため」にやりたいと思える日まで、しばしのお別れです。 

 

私のノートの最後にはこんな言葉が書き足されていました。

 

「大丈夫、私を信じて。」

 

 

今日も最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

 

 

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