カラフルに生きよう

知識より体の声を。情報より心の声を。自分の色を思い出し、人生の解像度をあげるためのブログ。

些細なことから、決めていく

こないだ初めて「テーマ」を軸に書いてみたんだけど、それがなんだか楽しかったので今日も書いてみる😇(笑)

 

良ければこっちも読んでみてね😆

「ヒロイン志望」をやめるまで

 

私のブログに辿り着いた人に、今まで何度かメッセージを貰ったことがあるけれど。

そのほとんどが「迷っている人」だ。

 「今までたくさん治療してきたけど、一向に良くならずどうすればいいのかわかりません」

「どうしても人の目を気にしてしまって、何をするにも悩んでしまいます」

「自分が何をやりたいのかわかりません」

 

書いてある内容は人それぞれだけど、その奥にある気持ちはほとんどが同じで。

 

私はどうしたらいいと思いますか?

 

という迷い。

送られてきたメッセージのほとんどに、私は共感する。なぜなら、私がまさに同じことに迷っていたから。

 

今までブログでも動画でも散々話してきたけど、顔中にできたニキビを治すために片っ端からいろんな治療を試してきたし、徹底的に食事も変えたし、高いスキンケアや天然素材の化粧品にフルチェンジして、時間も金額も費やしてきて、それでも良くならないときはもう本当にどうすりゃいいのって絶望したし

 

役者をしている分、自分が商品だから。

関係者の方に会う度に、“不良品”と思われてるような気分になってどんどん人前に立つのが怖くなって。

 

お芝居が好きという気持ちだけで今までやってきたけれど、生活するのにいっぱいいっぱいで、オファーを貰っても喜びより先にバイトに入れない心配をする日々。

 

それでも自分のことを見つめる時間も設けず、ひたすら毎日をこなして心はどんどんカサカサになってく。

 

「どうしたいの?」

「何かやりたいことないの?」

 

と、自分のことを質問されるのが怖い。嫌い。

なぜならそれが「わからない」と自分で知ってるから。

だからその質問をされないように、さぞ“自分はちゃんと考えてますよ~”風に取り繕って、変に自己分析してわかったような口を聞いたり、現実を斜に構えて見たり、やたら他人の心配をしたり。

 

 私は常に“世間”としての【正解】を探すのに必死だった。

 

自分がどうしたいか?よりも、どうした方が周りに褒められるか。を基準に選択する癖がついて、自分の気持ちは二の次。

 

失敗したくないから。

嫌われたくないから。

周りの【正解】に、自分の行動を合わせていく。

 

 そうこうしているうちに、自分の本音はどんどん見えなくなっていったのだ。

 不満の仕組み

人が何かにストレスを感じたり、不満が沸くとき、大抵が“やらされている“と感じているときだ。

私は日常の中で、たくさんの「しなきゃ」「できなきゃ」をこなしていた。

世間の常識や、女として大人として当たり前だと言われていること(自分が思っていること)に無意識に無自覚に“やらされて”いたのだ。

 

特に、ニキビ治療をしていたときは、化粧品ひとつ買うにしてもネットで口コミを漁りまくり、美容ブログでお勧めされているものを控え、仕入れた知識や情報を元に高額なものを購入したり。ニキビ治療に定評のある皮膚科で、何時間もかけて高額な治療費をかけてきた。

それでも良くならないと、「こんなに高い化粧品を買ったのに!肌に良いって言ってたじゃん!」「あんなに時間をかけて通ったのに!なんだったの!」と不満が爆発した。

そしてそう感じる裏には「本当は欲しくなかった」「本当は別のことに時間を使いたかったのに」という望みが隠れていた。

自分で選んだつもりでも、無自覚のうちに“買わされた”“使わされている”という感覚になり、時間やお金を“奪われた”という気持ちになっていたのだ。

 

どうして!ムカつく!良いって聞いたから買ってやったのに!行ってやったのに!

お医者さんもネットの情報もエステのお姉さんも、みんな嘘ばっかだ!!!!

私の人生うまくいかない!!!あの人にああ言われなければ!!!この人にこう言われてやらなければ!!!あんなことがなければ、今頃もっと違う生活してたのに!!!

私のお金と時間返してよ!!!!!

 

と、散々人のせいにして、気が付いた。

 

そういえば、私は何も自分で決めていない。

 

偉そうにわかったようなことを言ったり、報われないことを嘆いて被害者ぶったことを言いながら、自分の人生の主導権を全て他人に譲り、その責任も他人にとらせようとしていたのだ。

 

最近では「やりたいことやろう」が新しい常識になりつつあって、私も何か他にやりたいことを見つけられれば輝ける!と思っていた。 

 

でも、巷でイキイキしている人たちは、「やりたいこと」をやっているから輝いてるんじゃなくて、

自分で決めたことをやっているから、イキイキしているのだ。

 

やりたいときにやって、やりたくなかったらやらない。

楽しければやるし、飽きたらやめる。

 

「やりたいことをやる」だって、「やりたいことをやらなきゃ」になれば同じことの繰り返し。

何をやるか、その「やること」は大した問題ではなくて

自分で決めているか、決めていないかが大切だったのだ。

 

親に「勉強しなさい」と言われてやる勉強は苦痛だけど

自分から「勉強しよう!」と決めて机に向かうと楽しくて捗ったり 

人に「痩せた方がいいよ」と言われてやるダイエットは苦痛だけど

自分から「痩せよう!」って決めて運動するのは楽しくて、なぜか結果が出たりするものだ。

 

いくら好きなことでも、「やれ」と言われたらつまらなく感じるし

私の大好きな焼き芋も、人から「食べろ」と急かされたら、食べたくないし嬉しくない。

 

「やりたいこと」なんて大袈裟なものじゃなくていい。

好きなときに、好きなものを選び、好きに決めたい。自分で決めたことを、やりたい。

 

私が本当に望んでいるのは、それだったのだ。 

些細なことから自分で決めてみた

それに気付いて以降、私は日常のほんの些細なことから自分の気持ちに問いながら決め始めてみた。

今何が食べたいのか。今何が飲みたいのか。今何がしたいのか。何時に起きたいのか。何時に寝たいのか。何を着たいのか。化粧はしたいのか、したくないのか。

今まで「こうするもの」「仕方がないもの」と処理してやっていたことから、少しずつ自分で決めたことを増やしていったのだ。

 

そうすると私の場合、面白いことに今までニキビ治療としてやっていた様々なことが全て「やりたくないこと」になっていた。(笑)

薬も飲みたくない。食事制限もしたくない。お菓子も食べたい😋

 

体型を気にしてやらなかったことを、少しずつやってみたり。

自分のキャラを気にしてやっていたことを、少しずつやめてみたり。

 

今までただこなしていただけの日常に、少しずつ「私が決めたもの」が増えて人生に彩りが出てきた。

そしてそんなことに夢中になっていると、不思議と体にも変化が起きてきたのだ。

 

約3年前(ニキビ治療としていろいろとやっていたとき)⇩

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去年の私⇩

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今まであれだけお金や時間を費やしても良くならなかった私の肌が、みるみる息を吹き返してきたのだ。

(両方共、食べてる写真というのはそっとしておいてほしい。)

 

もちろん今でもニキビはできるときはできる。でも、このことを体感できたことによって自分に対しての信頼感が増し、以前のような荒れ方はしなくなった。

 

長くなってきたので、まとめに入るが、最初に書いた通り世の中には私も含め迷っているがたくさんいる。

私は自分の経験を通して、自分で決めることの大切さを思い知ったので、他人に対して「こうした方が良いよ」「こうやったらこうなるよ」というようなアドバイスはしない。

 

これからどうなるか、なんて誰もわからない。

そういう意味では、みんな同じように“迷っている”。

本当に迷子になるときは、自分で“決められない”ときだ。

 

そういうときこそ、大きなことを考えるより、小さなことから自分で決めてみるといいと私は思う。

 

自分のハンドルを切るのは、いつだって自分だ。