作品は“わたし”
私は漫画や映画や歌や、最近だと本が好き。
いろんな作品を見たり読んだりしながら、私はこの作品の何が好きなんだろう~?って考えてみたときに、真っ先に浮かんだのが“人”だった。
それはもちろん登場人物だったり、セリフだったり、物語だったり、いろいろな事も含まれるんだけど、私が一番心動かされるのは
“その作品を生み出した作者さん”が存在すること。そこにいつもグッとくる。
作品を通して、生み出している“人”を見てるんだ!って思った。
こんな言葉を使って、こんな表現の仕方があって、その人が伝えたいものがそこにあって。作品を見ると、作者さんの人柄がなんとなく想像ついたり、経験が滲み出ていたりして、私はそこを感じながらその「作品」を好きになってるんだなーって。
特に漫画は、登場人物が自分や周りと向き合ってる心情の描写が書かれてるから好き。
漫画原作で実写化されたものは、ドラマチックな展開だけなぞって、【どうしてそこに行きついたか】の心情の描写が欠けてるものが多かったりするので、原作ファンからしたら「大事なとこが抜けてるよぉぉぉ!」って思ったりするんじゃないかなあって思ったり。
(個人的には、実写化されたことによって作品が注目されて、原作読んでくれる人が増えるなら実写化はどんどんしていい!と思ってる。)
ブログとかも同じで、そのブログを書いてる人を感じてしまう。
同じようなことを書いていても、ぺらっぺらの文章に感じることもあれば、説得力のある文章に感じることもある。
芝居も同じ。役を通して、演じている“人”を感じた瞬間、私はその人が好きになる。
今この世界に溢れている様々な娯楽や、機械や、薬や、なんでもそうだけど、全部人が生み出したものなんだよね。
こんなものがあったら楽しいかな~とか
こんなものがあったら助かるかな~とか
そんな小さな愛から生まれたもので溢れてて、私たちは豊かに暮らせてるんだよね。
人間は神様が生み出したって言われてるけど
そんな人間から、これだけたくさんのモノが生まれて
もう人間はみんな神様なんじゃないかと思う。
大人になるにつれて、利益とか損得とかで考える癖がついてきて
“人”を感じる前に判断することが増えてたなーって思うんです。
人気だから、私も好き!とか。ネットで叩かれてたから、私も嫌い。とか。
みんなが可愛いって言ってるから、私もそう思う!みたいな。
多くの人がYESと言ってることが正しくて、NOと言ったら仲間外れ。
表面的な部分だけで判断するんじゃなくて、その先の“人”を感じることって大切だと思います。
「知らない」と「嫌い」は別物だ。
なんでそう思ったのか、なぜそうしたのか、その人のことを知ったあとで好みの話をすればいいよね。
私もよく「知らない」人を「嫌い」な人って勘違いしてたなぁ。
たくさん知ることができてたら、今頃とんでもない大親友になってたりして。(笑)
('ω')
えーっと、何が言いたいかと言うと…!(笑)
何をやるかじゃなくて、誰がやるか!だと思うんです。
私たちは生きてるだけで、たくさん生み出してる。
生み出された“私”という作品を、精一杯生きればいいと思うんです。
仕事だって、洋服だって、ブログだって、何をやろうが何を着ようが何を書こうが、本当はなんっっっでもよくて。
大事なのは、そこに人を感じること。“私”を感じること!なんじゃないのかなぁ。
物を買ってるつもりでも、売ってるのは人。
売ってるのは物のつもりでも、買ってるのは人。
“人”を感じた瞬間、人は惹かれるんだと思う。
人が何かを生み出すときは絶対愛から生まれてる。
作品に愛があるから、惹かれる人がいる。
私たちの作品は、自分だよ。
ついつい周りのこと気になっちゃったりするけどさ、気を散らせば散らすほど、自分のパワーがなくなってくだけなんだよね。
気(エネルギー)が散ってるわけだから。
気が散ることが悪いわけじゃなくて、気が散ってることに気付けばいいだけ。
( ゚д゚)ハッ!っとして、(゚Д゚)グッと戻ってくればいいと思う。ww
肌荒れに必要なのは、自分を大切に扱うことだ!なんて発信して、どのくらいの人が気付いてくれるかわからないし、どうしたらたくさんの人に届くのかって考えたりもするけど
最終的にはやっぱり、私が私を精一杯生きることによって
このブログで“私”という人を感じてくれる人が増えて、説得力のある言葉にしたい!
頑張るぞー!
マイコでした(*'▽')♪